2011年07月25日
わら一本の革命
ブログ更新、一週間ぶりです。一週間老体にはハードスケジュールで今日は整体にお世話になりました。
これで疲労が和らぎそうです。
<自然農法>
【わら一本の革命】 福岡 正信
気になっていた本で、今日平安堂で購入した。今年から自然農法による家庭菜園を始め勉強中である。自然農法の先駆者で外国では有名である。そういう人は日本では異端児扱いを受ける。昔から・・・・・・
私は、本を購入すると【あとがき】から読み始める。(本屋での立ち読みもあとがきを見る)
昭和50年(1975年)に書かれた【あとがき】に<風心>という詩風な言葉を残している。(著者 福島 正信は故人なってしまった)
少し長いが、引用させていただく。
・・・・・・・・風心・・・・・・・
人類文明の遠心的な発達は 極限に達した
このまま膨張して崩壊してゆくか
反転して求心的に収縮するか
滅亡か 復活か 岐路に立つ人間
足もとの大地は崩れ始め 天も暗くなった
肉体の崩壊が 医学の混乱をまねき
精神の分裂が 教育の昏迷となり
社会の不安が 道徳の荒廃につながる
これで よいのか
人々は苦慮して 泣き笑い
何をしてよいのか わからないまま右往左往する
それでもなお
ただ一途に人間の智恵を信じ
何かを為すことによって
矛盾を解決できるだろうと期待する
馬鹿な動物は 馬鹿なことを知らないから馬鹿をしない
利口な人間は 馬鹿馬鹿しいと知りながら馬鹿をする
終末の近いのを知って
未来の夢をみる
地球の汚染を嘆くもの
人間の智恵を誇示するもの
みんな人間を 愛しているのだが
誰が 自然を守護し
誰が人間を 混乱に陥れているのかがわからない
鎮守の森は 植物生態学者や 百姓が造ったのではない
人間を守るのは・・・・・裁くものは誰か
瀬戸の海が 石油で汚染され
養殖ハマチが全滅した
漁夫が激怒したが 考えてみると
魚をとる網が 石油製品(ナイロン)になり
船を ガソリンで走らすようになって
漁獲量が急増したが 翌年から
魚が急減して 養殖漁業にきりかえた
その養殖ハマチが 石油で殺された
汚染がひどくなり 赤潮が発生した
魚も ノリも死んだ 海も死んだ
瀬戸の魚の味をかえせと すし屋のおやじが先頭にたち 主婦たちが さわぎだし
工場に おしかけると
工場の排水より 農民の化学肥料や農薬が
河に流れこみ 赤潮の原因になっているのだ
なぜ 百姓を責めないのかと 開きなおる
農民の所に行けば 米が減産してもよいのかと言う
市役所の窓口に行けば 汚水処理場の用地を提供するのが 先決だと はねつけられる
赤潮対策の名案を 学者にうかがうと
超音波の光線で プランクトンは簡単に殺せるという
プランクトンが死滅して 海底に堆積したら 何万年かの後には石油になる
なるほど 名案だが それまで人類は生きられない
いっそ瀬戸内海を ヘドロの海にして
プランクトンを培養して 石油の原料にしたら 石油不足も解消できる
そうなりゃ アラブの石油はいらぬ
大型タンカーを マレー沖に沈めたり
石油タンクの破損の心配もなくなる
こりゃ 名案だ・・・・・だがまてよ
大型タンカーが不用になれば
鉄が不用になり 製鉄所の電力需要が減る
すると原子力発電所の建設にも ひびが入る
それでは労働者は飯が食えない さて・・・・・・
科学者が追う はてしない夢
することは まず こんな利口なことである
ああ しんどい話になった
もう一度 最初をふりかえってみよう
問題は
人が 善いか 悪いかを考え
自然は 善だ いや悪だと争い始めた時から出発した
自然は 善でも 悪でもない
自然は 弱肉強食の世界でも 共存共栄の世界でもないのに
勝手にきめつけたのが間違いの根だった
人間は 何もしなくても 楽しかったのに
何かすれば 喜びが増すように思った
物に価値があるのではないのに
物を必要とする条件をつくっておいて
物に価値があるように錯覚した
すべては 自然を離れた人間の智恵の一人角力(ずもう)だ
無智 無価値 無為の自然に還る以外に
道は無い
一切が空しいことを知れば 一切が蘇る
これが
田も耕さず 肥料もやらず 農薬も使わず 草もとらず
しかも驚異的に稔った
この一株の稲が教えてくれる緑の哲学なのだ
種を蒔いて わらをしく
それだけで 米はできた
それだけで この世は変わる
みどりの人間革命は わら一本から可能なのだ
誰でも 今すぐ やれることだから
【自然農法】わら一本の革命 福岡 正信 著作 春秋社刊 あとがきより
読んでいてどうしても書きたくなった。35年前にこんなことを思っていた人がいたなんて・・・・
これで疲労が和らぎそうです。
<自然農法>
【わら一本の革命】 福岡 正信
気になっていた本で、今日平安堂で購入した。今年から自然農法による家庭菜園を始め勉強中である。自然農法の先駆者で外国では有名である。そういう人は日本では異端児扱いを受ける。昔から・・・・・・
私は、本を購入すると【あとがき】から読み始める。(本屋での立ち読みもあとがきを見る)
昭和50年(1975年)に書かれた【あとがき】に<風心>という詩風な言葉を残している。(著者 福島 正信は故人なってしまった)
少し長いが、引用させていただく。
・・・・・・・・風心・・・・・・・
人類文明の遠心的な発達は 極限に達した
このまま膨張して崩壊してゆくか
反転して求心的に収縮するか
滅亡か 復活か 岐路に立つ人間
足もとの大地は崩れ始め 天も暗くなった
肉体の崩壊が 医学の混乱をまねき
精神の分裂が 教育の昏迷となり
社会の不安が 道徳の荒廃につながる
これで よいのか
人々は苦慮して 泣き笑い
何をしてよいのか わからないまま右往左往する
それでもなお
ただ一途に人間の智恵を信じ
何かを為すことによって
矛盾を解決できるだろうと期待する
馬鹿な動物は 馬鹿なことを知らないから馬鹿をしない
利口な人間は 馬鹿馬鹿しいと知りながら馬鹿をする
終末の近いのを知って
未来の夢をみる
地球の汚染を嘆くもの
人間の智恵を誇示するもの
みんな人間を 愛しているのだが
誰が 自然を守護し
誰が人間を 混乱に陥れているのかがわからない
鎮守の森は 植物生態学者や 百姓が造ったのではない
人間を守るのは・・・・・裁くものは誰か
瀬戸の海が 石油で汚染され
養殖ハマチが全滅した
漁夫が激怒したが 考えてみると
魚をとる網が 石油製品(ナイロン)になり
船を ガソリンで走らすようになって
漁獲量が急増したが 翌年から
魚が急減して 養殖漁業にきりかえた
その養殖ハマチが 石油で殺された
汚染がひどくなり 赤潮が発生した
魚も ノリも死んだ 海も死んだ
瀬戸の魚の味をかえせと すし屋のおやじが先頭にたち 主婦たちが さわぎだし
工場に おしかけると
工場の排水より 農民の化学肥料や農薬が
河に流れこみ 赤潮の原因になっているのだ
なぜ 百姓を責めないのかと 開きなおる
農民の所に行けば 米が減産してもよいのかと言う
市役所の窓口に行けば 汚水処理場の用地を提供するのが 先決だと はねつけられる
赤潮対策の名案を 学者にうかがうと
超音波の光線で プランクトンは簡単に殺せるという
プランクトンが死滅して 海底に堆積したら 何万年かの後には石油になる
なるほど 名案だが それまで人類は生きられない
いっそ瀬戸内海を ヘドロの海にして
プランクトンを培養して 石油の原料にしたら 石油不足も解消できる
そうなりゃ アラブの石油はいらぬ
大型タンカーを マレー沖に沈めたり
石油タンクの破損の心配もなくなる
こりゃ 名案だ・・・・・だがまてよ
大型タンカーが不用になれば
鉄が不用になり 製鉄所の電力需要が減る
すると原子力発電所の建設にも ひびが入る
それでは労働者は飯が食えない さて・・・・・・
科学者が追う はてしない夢
することは まず こんな利口なことである
ああ しんどい話になった
もう一度 最初をふりかえってみよう
問題は
人が 善いか 悪いかを考え
自然は 善だ いや悪だと争い始めた時から出発した
自然は 善でも 悪でもない
自然は 弱肉強食の世界でも 共存共栄の世界でもないのに
勝手にきめつけたのが間違いの根だった
人間は 何もしなくても 楽しかったのに
何かすれば 喜びが増すように思った
物に価値があるのではないのに
物を必要とする条件をつくっておいて
物に価値があるように錯覚した
すべては 自然を離れた人間の智恵の一人角力(ずもう)だ
無智 無価値 無為の自然に還る以外に
道は無い
一切が空しいことを知れば 一切が蘇る
これが
田も耕さず 肥料もやらず 農薬も使わず 草もとらず
しかも驚異的に稔った
この一株の稲が教えてくれる緑の哲学なのだ
種を蒔いて わらをしく
それだけで 米はできた
それだけで この世は変わる
みどりの人間革命は わら一本から可能なのだ
誰でも 今すぐ やれることだから
【自然農法】わら一本の革命 福岡 正信 著作 春秋社刊 あとがきより
読んでいてどうしても書きたくなった。35年前にこんなことを思っていた人がいたなんて・・・・
Posted by ロハスみなみ at 20:12│Comments(4)
│農作業
この記事へのコメント
う~ん すごいですね
35年前にすでにこんなことを思っていたなんて!
すごいわぁ!
35年前にすでにこんなことを思っていたなんて!
すごいわぁ!
Posted by うたかた夫人 at 2011年07月29日 22:45
>うたかた夫人
ご無沙汰です。ブログを拝見させていただいており久しぶりという感じはしないのですが・・・。昔から真理を追求した人は主流にはなれなかったのですね。貴方の自然の切り取り方は、何時も感心させられます。
ご無沙汰です。ブログを拝見させていただいており久しぶりという感じはしないのですが・・・。昔から真理を追求した人は主流にはなれなかったのですね。貴方の自然の切り取り方は、何時も感心させられます。
Posted by ロハスみなみ at 2011年07月30日 21:09
お久しぶりです!
この本を一度読んでみたいと思ってきて、
図書館にリクエストして、今年やっと読むことができましたよ^^
結構 わたしには難しい部分も多く、
そういうところは飛ばして(^_^;)
でも、「目から鱗」な言葉の数々☆
たとえば、
《 人間が、分かったと思う わかる は知識にすぎず、知識がふえると疑問がふえて、ものがわからなくなる 》
この本を一度読んでみたいと思ってきて、
図書館にリクエストして、今年やっと読むことができましたよ^^
結構 わたしには難しい部分も多く、
そういうところは飛ばして(^_^;)
でも、「目から鱗」な言葉の数々☆
たとえば、
《 人間が、分かったと思う わかる は知識にすぎず、知識がふえると疑問がふえて、ものがわからなくなる 》
Posted by うたかた夫人 at 2012年03月09日 23:28
>うたかた夫人
ご無沙汰しています。
貴方のブログは、アップされれば通知されるようにしております。自然の変幻自在の姿を切り取る貴方の感性にいつも感動しています。
「わら一本の革命」に出逢い、自然の偉大な営みに今更ながらに感動しています。
そこから、今は自然栽培について興味をもっています。
貴方の感性の豊かさは、どこから来るのでしょうか。
とても興味があります。
フェイスブックを今年から始めました。
ご無沙汰しています。
貴方のブログは、アップされれば通知されるようにしております。自然の変幻自在の姿を切り取る貴方の感性にいつも感動しています。
「わら一本の革命」に出逢い、自然の偉大な営みに今更ながらに感動しています。
そこから、今は自然栽培について興味をもっています。
貴方の感性の豊かさは、どこから来るのでしょうか。
とても興味があります。
フェイスブックを今年から始めました。
Posted by ロハスみなみ at 2012年03月10日 18:15
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